ソフトウェアエンジニアに、AIの前でラッダイトを名乗る資格はない

ソフトウェアエンジニアリングは常に他人の仕事を自動化してきた。Sean Goedeckeは、その歴史ゆえにエンジニアたちの現在のAIに対する怒りは筋が通らないと論じる。

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多くのソフトウェアエンジニアがAIに怒り心頭で、腸が煮えくり返っている。自分の職業的アイデンティティの拠り所としてきたスキルが自動化されつつあるのだから、つらいのは理解できる。だが、この件について文句を言う資格が世界で最もないのは、ほかならぬソフトウェアエンジニアだ。刀を振り回す者は、刀で死ぬ1。

ソフトウェアエンジニアリングは、ずっと他人の業界を自動化してきた

ソフトウェアエンジニアリングは、最初から他人の仕事を自動化する仕事だった。あらゆる業務用ソフトウェア2が価値を持つのは、本来なら金を払って人にやらせていた作業を引き受けるからだ。初期のパーソナル向けビジネスソフトのひとつであるVisiCalcを作ったエンジニアは、表計算が簿記係の職を奪うのではないかと思い悩んだ。ソフトウェアエンジニアがすでに自動化してきた業界を、簡単に挙げておく3。

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今度は自分たちの番だというだけで、ソフトウェアエンジニアリングは値段のつけられない芸術であって自動化されるべきではない、と騒ぎ立てるのか。冗談はやめてほしい。カジノでは泣くのはご法度だ。

ラッダイトと機械工

多くのソフトウェアエンジニアがラッダイトの側に立っている。ラッダイトについては何度か書いたことがあるが、手短に言えば、彼らは動力織機や編機、起毛機といった繊維自動化機械に職を奪われた熟練織工の集団だ。自動化に置き換えられることを恐れるソフトウェアエンジニアの目には、ラッダイトは英雄に映る4。だがこの構図の中で、ソフトウェアエンジニアは織工などではまったくない。むしろ動力織機を最初に作り出した鍛冶屋や機械工のほうに近い。

皮肉なことに、ラッダイト蜂起から50年後、その機械工たち自身がほとんど同じ形で自動化に置き換えられた。製造工程の改良によって、未熟練の少年や単純労働者——いわゆる「非合法人」——が機械を操作できるようになり、高給の機械工を雇う必要はなくなった。その後に起きた労使紛争はラッダイトのときほど激しくはなかった。暴力はなく、ストライキに入ったエンジニアたちは金が尽きると4か月で仕事に戻った。

機械工たちの抵抗が失敗した理由のひとつは、彼らが当然のごとく偽善者と見なされたことにある5。《タイムズ》はこう書いた。

この聡明なエンジニアたちの訴えは、手織り機の織工の訴えにすぎない——不可避で抗いがたい法則への抗議である。

自動化と進歩

ソフトウェアエンジニアリングとは、面倒な作業を自動化する過程であり、人間の労働を、より速くより安価な機械の労働で置き換える過程だ。言い換えれば、人を失業させる過程である。

パソコンの前に座り、CSSやランタイムエラーと格闘していると、このことを忘れがちになる。内側から見れば、ソフトウェアエンジニアリングは、問題を最も自然な形で優雅に表現することのように、あるいは極めて複雑なパズルを解くことのように感じられる。だがそれはソフトウェアエンジニアリングをしているときの感覚であって、ソフトウェアエンジニアリングそのものではない。

ソフトウェアエンジニアリングについての楽観的な見方はこうだ。自動化とは進歩である。自動化によって現代医学は広く行き渡り、世界の乳児死亡率は大きく下がり、食糧生産は飛躍的に増え、宇宙探査が可能になった。旧来の業界が消えるとき、新しい業界が生まれる。古い世界は破壊されつつあるが、新しい世界はずっとずっと良いものになる。

こうした技術観は、今日ではかなり不人気だ。気候変動、2008年の金融危機、SNSの負の影響、さらにはテック業界のリーダーたちの右傾化。これらが重なって、技術を概ね負の力と見なすことが流行の立場になった。それももっともだ。この論争でどちらが正しいのか、私にはわからない6。だが、ソフトウェアエンジニアが口で何を信じていようと、これまでどちらの側で戦ってきたかはわかっている。技術と自動化の側だ。オープンソースプロジェクトへのコミットのひとつひとつが、技術進歩という偉大な機械の部品をもうひとつ増やしている。

目を閉じる

業界の長期的な影響から目を逸らし、パズルを解くことだけに没頭したいという衝動は理解できる。技術の進歩を悪だと思いながら、仕事を辞める気もないなら、これまではそれしか選択肢がなかった。世界のすべての問題を解決することはできない。

だが、まさに今こそ技術進歩に反対して立ち上がるべき瞬間だと考え、しかもそれが自動化の波が自分たちの業界を飲み込もうとしているまさにその時だというのは……いささか品位を欠く7。ソフトウェアエンジニアはこの人生で、すでにいくつもの職業の破壊(あるいは変容)に自ら手を貸してきた。それが間違っていると思うなら、公平を期して、自分が破壊(あるいは変容)される番になってもいいはずだ。

Footnotes

  1. マタイによる福音書 26:52。 ↩

  2. ゲームとSNSは除く、と思う。 ↩

  3. その多くは今も何らかの形で存在しているが、かつての自分の残像にすぎない。ソフトウェアがこの業界の仕事の大半を食い尽くしたのだ。 ↩

  4. 私はこの見方には懐疑的だ。ここで論じたように、ラッダイトの動機の一部には一種の原ファシズムがあった。神話的な過去への理想化であり、その過去は、なだれ込んでくる未熟練移民と、仕事を奪う女性たちによって脅かされているとされた。 ↩

  5. ラッダイトについて過小評価されている事実がひとつある。彼らは一般大衆から驚くほど支持されていた。多額の懸賞金がかけられても、ラッダイトの指導者を通報する者はいなかった。名実ともに警察国家が築かれて、ようやく一人が裏切った。 ↩

  6. とはいえ、産業革命は概ね肯定的だったと私は強く考えている。 ↩

  7. もしAIの進歩を本当に止められるのなら、その行為は「渡り終えた橋を焼く」ような冷徹さとして、せめて敬意を払えた。だがそれでも、AIが動くソフトウェアを書けることを頭から否定するよりはましだ。そうしているエンジニアを見たことがある(追記:私がこの記事でリンクした人物はそれを否定していない。私が言っているのは Baldur Bjarnason のような人のことだ)。 ↩

出典: seangoedecke.com← ホームへ戻る